社会不適合者の日記

映画・商品レビュー

『PERFECT BLUE』4Kリマスター版をイオンシネマで観てきた感想(ネタバレ含む)

はじめに

25年11月24日 
イオンシネマで『PERFECT BLUE』4Kリマスター版を観てきた。初見だった。

90年代のネット黎明期に作られた作品だとは知っていた(マネージャーのルミがアイドルの未麻に対し、「ダブルクリック」を説明する描写がある)。しかし、スクリーンに映し出された内容は驚くほど今っぽく、鑑賞中はずっと「頭がおかしくなりそうだ」と思いながら、その狂気に釘付けになっていた。

劇場を出たあと、自分の中に強く残ったテーマは「監視」と「アイデンティティ」だろうか。

ネット黎明期なのに“現代的”な映画

PERFECT BLUE』の舞台は、まだスマホSNSもなかった時代だ。あくまで推測だが、作中の「未麻の部屋」は、ブログ以前の“HTML個人サイト”ではないかと思う。しかしそこに描かれているのは、ネットと他人の視線によって分裂していくひとりの人間の姿だった。

主人公の未麻は、アイドルから女優へと「路線変更」していく。だが画面の外では、ファンたちが、いつまでも「清純なアイドル・未麻」のままでいることを求め続ける。

ドラマの撮影現場で性暴力的なシーンに挑み、ヌード撮影も受け入れていく未麻の姿を見ていると、「売れるためには汚れ仕事も引き受けなければならない」という前提が、当たり前のようにそこにある。その一方で、彼女の精神的ダメージやトラウマは軽視されている。
アイドルやタレントの「イメージ」が勝手に一人歩きし、本人の心が置き去りにされる構図は、今のSNS社会にもそのまま当てはまってしまう。

ミーマニアという「不気味なオタク」

もっとも印象に残ったキャラクターは、未麻の熱狂的なファン、いわゆる「ミーマニア」だ。
特に、ライブ会場で彼がステージ上の未麻を“手のひらに載せている”ように見えるショットは強烈だった。アイドルを所有物のように扱うファンの幻想を、そのまま可視化したような恐ろしさがある。

言葉を選ばずに言えば、彼はいまで言う「キモオタ」とも言える。自分の中で作り上げたアイドル像から少しでも外れると、愛情が憎しみに転じ、最終的には「彼女を守るため」という名目で、当の彼女にさえ殺意を向けてしまう。

「現実と妄想」が混ざる心地よい混乱

本作は、現実、妄想、そして劇中ドラマが意図的に入り混じる構成になっている。
どこまでが本当の出来事で、どこからがドラマのワンシーンなのか。あるいは、どのカットが未麻の頭の中だけで起きていることなのか。観ている途中で何度も分からなくなる。

印象的だったのは、彼女が飼っている熱帯魚の描写だ。あれが生きているのか死んでいるのか分からないという不安が、そのまま未麻の「今の自分は本物なのか」という不安に直結していく。

セル画とマッチカットが作る狂気

映像面でまず目についたのは、「ちょっと前のアニメだな」と分かるセル画らしい質感だ。近年はあまり見かけないタッチだが、4Kリマスターの鮮明さが合わさることで、今のデジタル作品にはない印象を受ける。実は、本作は比較的低予算作品であり、当初は劇場公開の予定がなかった。*1

特に「おっ」と思ったのは、マッチカット*2の多用だ。
ライブと日常がシームレスにつながったり、劇中ドラマのセリフがそのまま未麻の心境を代弁しているように聞こえたりする編集によって、現実と虚構の境界線がずるずると侵食されていく。

PERFECT BLUE』から連想した2本の映画(こじつけ)

鑑賞後、ふと頭に浮かんだ映画が2本ある。どれも本作と響き合うテーマを持った(と勝手に思っている)作品だ。

1. 『サンセット大通り』――使い捨てられるスターたち
サイレント映画期に一世を風靡した中年女優が主人公の映画。この作品でも脚本家は散々な目に遭い、映画産業そのものが人間を“使い捨てる”システムとして批判的に描かれている。
PERFECT BLUE』の未麻もまた、「アイドル」というピークを通過させられ、その後は消費されるだけの存在にされかける。

2. 『インセプション』――夢・現実・物語の多層構造
夢の中の夢……と、何層ものレイヤー構造で現実認識を揺さぶってくるクリストファー・ノーラン作品。『PERFECT BLUE』もまた、現実・妄想・劇中劇が幾重にも折り重なり、「今見ているこれはどのレイヤーなのか?」という不安を観客に与え続ける。

また、『インセプション』と今敏作品は視覚的な類似が指摘されることがある。

最後に:小さな喜びとしての「1/frameカード」

今回の上映ならではの楽しみとして、入場特典の「1/frameカード」についても触れておきたい。
一見ただのプラスチックカードで、端に適当に見える数字が書いてあるだけだが、よく見るとそれが実際の上映中のタイムコードになっていることに気づく。

作品のある一瞬を物理的に切り取って手元に持ち帰る、というコンセプトが面白い。「このカットのこのフレームが自分のカードだ」と思うと、つい他のシーンも集めたくなってしまう。

PERFECT BLUE』は、暴力描写や性描写(風)のシーンも多く、誰にでも勧められる映画ではない尖った作品だ。軽いトラウマになる人もいるだろう。
けれど、「現実とは何か」「自分は誰なのか」といった哲学的な問いに惹かれる人や、単にサイコスリラーが好きな人には、間違いなく刺さる一作だ。